Have you already enjoyed RRR? RRR’s “Naatu Naatu” won the Academy Award 2023 for best original song.
この映画、1920年代のイギリス植民地支配に対するインド独立闘争が時代背景で、その実、インド映画ならではのダンスファイトを中心に持ってきたエンターテインメント映画。ハイライトは Naatu Naatu という歌詞の歌に合わせて Naatu dance で対決するシーンでした。2023年のアカデミー賞のベストオリジナルソング部門を取りました。
映画ではNaatu ダンスはいくつかの異なるパートに分かれているのですが、YouTube ダンサーがこぞって取り上げている部分は 8-8-4 (または4-4 4-4 4)の少し変則的な尺に収まっています。この部分のコリオグラファー自身がYouTubeで解説動画を上げています。
最初の 4-4 の 前半と後半は繰り返しで、その4とは 4 kicks / 4 beats。キックする方向は次の構成です。
1st beat 腰を少し左に回転させて前左斜め
2nd beat 腰を少し左に回転させて前右斜め
3rd beat 後
4th beat 前
これを2セット連続させこの 4-4になります。
次の 4-4 も前半と後半は繰り返しで、その4は次の構成です。
1st beat 右足後ろ左足前
2nd beat その逆
3rd beat 右足後ろ左足前&深く前傾し顔を下げる
4th beat その逆で 左足後ろ右足前&上体少し後ろに反り顔を上げ右足は踵のみ接地しつま先を上げる
そして最後の4は
1st beat 右足くびを回してつま先を左&顔を左
2nd beat 右足くびと顔を右に回転
3rd beat 右足くびを回してつま先を左&顔を左
4th beat 右足くびと顔を右に回転
以上の 8-8-4 を好きなだけ繰り返して完成です。腕の位置はその時の振り付けシーンで変化しますが、まあ、腰の位置においておくか、ペアで踊る時には Lindyhop の side bey side ポジションと似たりよったりの組み方でいいのかなと。
Lindy Charleston のキックとの関連で考察するに、現代のLindyの 1-4 は 1 kick、後半の 5-8 では足替えして 2 kicks ですから、8 beats でキックが3回。一方、Naatu は最大8回で、しかもずーと左足で支えてホップし続けるんですから、そりゃあ疲れます(笑)。だから踊り続けることができない落伍者が続出して、最後は誰がチャンピオンか、というダンスファイトになるってことですね。
余談ですが、Lindyhop の原型と言われている 1910年頃のTexas Tommy Dance(TTD)では足替えはありますが 4 kicks per 8 beats の動きもあったと思われます。Marshall and Jean Stearns の Jazz Dance によると、片足で(おそらく 4 beatsで)kick and Hop を3回(ということは4ビート目は足替えの1ステップか?)、というベーシックステップが書かれています。残念ながらTTD は伝承が途絶えたダンスなので、この辺りはどれが本当なのかわかりません。今後のダンス歴史家の研究を待ちたいところです。
さて話はこの映画の時代背景に移りますが、最後のインド革命リジェンド総登場のシーンを見るに、ラージャマウリ監督も勉強不足?というか、多分、現代のインド人ですら1920,30,40年代の本当の Indian Independent Movement の歴史を知らなかったりするのかなとも思います。あの頃の主たるインド革命家の多くは、英国の迫害を受け海外、当然日本にも逃げて来ていました。当時日本は英国と対峙する彼らを、軍事・経済の両面で力強く支援していましたし、大東亜共栄圏というスローガンもそれらのインド人革命家には頼もしかったからです。
歴史の大きな流れという観点から日本が対峙していたのは、アジアをそれまで蹂躙・搾取・奴隷化してきた欧米列強白人国家であり、インドではそれは英国でした。日本にアジアを侵略する意図が無いことは時の東條英機首相も公式に表明しており、実際、その通りにしました。そうでなければいくら英国と対峙するインド人革命家であっても、日本と組めるはずがありません。
日本の文部省の歴史教科書は戦後、米国、GHQ により広島長崎東京大阪などでの一般人大虐殺などの米国の戦争犯罪を隠蔽したり白人国家に都合のいいように書き換えさせられたものをそのまま今でも踏襲しており、史実と真逆のデタラメだらけのプロパガンダです。ですので自分自身で一次資料に当たらなくては真実が一切見えてきません。
ラストシーンの最初に出てくるの革命家はSubhas Chandra Bose (スバス・チャンドラ・ボーズ) で、それはそれでいいのですが、そもそもインド独立連盟(IIL, Indian Independence League)を立ち上げたのは彼ではなくRash Behari Bose (ラッシュ・ビハリ・ボーズ) であり、その縁の下の力持ちとして大活躍したのは、若くして日本に亡命した革命家Aiyappan Pillai Madhavan Nair (A.M.ナイル 京大卒)です。戦後、インドが独立してしまうと革命家家業は失職し、そこで銀座で創業したのがナイルレストラン。日本のカレーの草分けは先のラッシュ・ビハリ・ボーズが関与した中村屋カレーと共に、このナイルレストランが挙げられます。日本のカレーはインドの革命家たちの副産物とも言えますね(笑)。
話を戻して、ほとんどのインド人はラッシュ・ビハリ・ボーズやA.M.ナイルの情報にアクセスしていないかもしれません。ただし、(あのトンデモなくインチキな、笑)東京裁判において日本無罪判決をただ一人、勇気を持って出したインドのRadhabinod Pal (ラダビノード・パール) 判事はそこは理解されていたようです。パール判事は何度か来日されましたが、A.M.ナイルはその通訳として各所に同行しています。A.M.ナイルはインドの反英革命家でありそのために広範な活動をしましたが、その中には例えば、満洲国政府に請われ満州国立建国大学の客員教授に就任し、五族協和のスローガンの元、各民族の中の優秀な若者たちに等しく接し育てる事もしました。そういった近代の歴史について勉強不足なのは何もラージャマウリ監督だけでなく、我々日本人の方が勉強不足も甚だしいのが悲しい現実。確かに戦後アメリカに焚書禁書に加えて大洗脳工作をやられまくったとはいえ、もうそろそろ気がついてもいいでしょうというお話。
ところで先日、インド人スウィングダンサーと共にナイルレストランに行って、記念?に店の前で Naatu dance もどき?、やってきました!(笑)
RRRをご覧になった方には、A.M.ナイルの以下の著書をおすすめします。
知られざるインド独立闘争―A・M・ナイル回想録
この本には当時、著者が実際に関わったリアルの歴史が書かれています。文体は、フランキー本の著者の一人の Cynthia Millmanのそれと似ていて、詳細かつ要点がきちんと絞られていて、一級の歴史研究資料ではないかなと思います。当時の日本のトップとの交渉や動向など、迫力あるすごい文章ですよ。
映画を観て、そしてこの本を読むと、この映画と1920,30,40年代の事柄を10倍100倍、楽しめるのではないでしょうか。
さらに2000,10,20年代の事柄、例えば日本の故安倍晋三首相が主導した対中軍事包囲網である日米豪印戦略対話 Quadrilateral Security Dialogue (Quad) にインドが加入したのは、それぞれ約80年前の大東亜共栄圏にインドが賛同していたのが布石だとわかります。アングロサクソン(=英国)の血をひくアメリカが主導したのでは、インドは絶対に入らなかったからです。
話をざっくり切ると、80年前に大東亜共栄圏をめぐり大戦争をやらかした日米が、現代の新「大東亜共栄圏」(笑)とも言える「自由で開かれたインド太平洋」構想でガッツリ手を組むんですから、歴史の展開はなんとも不思議で面白い! アメリカは敵と味方を間違える天才、とはよく言ったもので、ダグラス・マッカーサーがもし生きていたら、さぞやぶったまげる展開ですかね?
ま、それはともかく、我々 swing dancer としては
Not Salsa, not Naatu, my brother. Do you know Swing? 😉
なんですけどね!(笑)
上記のA.M.ナイル回想録に加えて、参考にした文献等:
- 中村屋のボーズ インド独立運動と近代日本のアジア主義 中島岳志著
- 東京裁判 全訳 パール判決書 Rdhabinod Pal 著
- 安倍晋三回顧録 安倍晋三著
- 銀座ナイルレストラン 水野仁輔著
- 「自由で開かれたインド太平洋」、安倍元首相の一言が変えた米国のアジア観と中国観 CNN.CO.JP
- 世界から恐れられた七人の日本人 丸谷元人著
- ルーズベルトニ与フル書 市丸利之助 大日本帝国海軍少将著
- 東京裁判 日本の弁明 小堀桂一郎 編著
- HEARINGS before the COMMITTEE ON ARMED SERVICES and the COMMITTEE ON FOREIGN RELATIONS / UNITED STATES SENATE / Eighty-second Congress First session to conduct an inquiry into the military situation in the Far East and the facts surrounding the relief of general of the Army Douglass MacArther from his assignments in that area, 1951
- 米国上院軍外交合同事委員会に於けるダグラス・マッカーサー証言 (1951)